鏡の国のアリスのあらすじや名言集、赤と白の女王の台詞から人生生き残りの術を学びましょう。
鏡の国のアリスは、ルイス・キャロルの不思議の国のアリスの続編です。
鏡の国のアリスの登場人物の台詞から名言や格言をたくさん見つけ、人生をより良いものにしていくためのヒントを見つけていきましょう。
もくじ
鏡の国のアリスの詩は造語が多い?ちんぷんかんぷんの生みの親?
「鏡の国のアリス」の中に記述された「ジャバウォックの詩」は、英語で書かれた最も秀逸なナンセンス詩だと言われています。
ジャバウォックと呼ばれる正体不明の怪物が主人公に打ち倒される詩ですが、文中の単語はルイス・キャロルが創作した「かばん語」は、造語も多いです。
中でも、jabberwocky 「ちんぷんかんぷん」という言葉は、ルイス・キャロルが作中で造られた言葉として有名です。
鏡の国のアリス作中のイラスト
鏡の国のアリスの中で使われている挿絵やイラストは、ジョン・テニエル氏が手掛けていて、前作と合わせて様々な言語に翻訳されて世界中で読み続けられています。
鏡の国のアリスあらすじ
「鏡の国のアリス」は、世界中で長年愛され続けている「不思議の国のアリス」の半年後を描いた続編です。
前作と同様、主人公の少女アリスが見ていた夢の中が舞台となっています。
今回は、チェス盤をモチーフにした奇妙な世界です。現れては消えるユニークなキャラクターたちとチェス盤のマスを進んだり戻ったりしながら、物語は展開していきます。
7歳半の少女アリスは、3匹の猫たちと空想ごっこをして遊んでいました。
中でも、真っ黒な子猫のキティをチェスの赤の女王に見立てていました。そうして遊んでいるうちに、暖炉の上にあった鏡の中に入り込んでしまいます。
鏡の中の世界も同じ暖炉のある部屋でしたが、チェス盤上で駒が勝手に動き回っていたり、置いてある本が鏡に映したかのようにあべこべになっていたり、普通ではありません。
赤の女王にその世界のルールを教わったアリスは、自分もチェスの駒の一つであるポーン(歩)になって、目的地を目指すことを決意します。
アリスは、たくさんのキャラクターたちと遭遇しながら、汽車に乗ったり、森の中を歩いたり、ボートを漕いだりして、進んでいきます。時には、突然場面が転換し、前に向かっているのか、後ろに戻っているのか、わからなくなります。
そうして、ようやく目的地にたどり着いたアリスは、王冠を得て女王になります。
赤の女王や白の女王との食事会が始まりますが、食器や女王たちが勝手に変形し始め、訳のわからない大混乱が起こります。白の女王はスープの中に消え、赤の女王は小さくなっていきます。
最後にチェスの駒の大きさとなった赤の女王をアリスがつかんで揺さぶると、これがチェックメイトを意味し、アリスは夢から覚めます。
目覚めたアリスが揺さぶっていたのは子猫のキティでした。
以上が簡単なあらすじです。
鏡の国のアリス作中のキャラクター
それでは、個性あふれるキャラクターたちの特徴と役割を確認しましょう。
黒い子猫のキティ
アリスの飼い猫。アリスの夢の導入と目覚めに関わり、赤の女王の正体と考えられます。
赤の女王
チェスの駒でいう黒のクイーンを基にしたキャラクター。
アリスに対して偉そうな態度を取りますが、最初は鏡の国のルールを説明し、最後はチェックメイトに使われる等、重要な役です。
白の女王
チェスの駒でいう白のクイーンを基にしたキャラクター。赤の女王とは対照的に気が優しく、弱々しい人物像です。
自分で身支度ができずにアリスに手伝ってもらう場面もあります。
「未来から過去へ向かって生きているから、未来のことを覚えている」と奇妙なことを言って、年老いた羊に変身します。
白の騎士
チェスの駒でいう白のナイトを基にしたキャラクター。
アリスを捕まえようとしていた赤の騎士との決闘で勝ち、アリスを目的地まで送ってくれます。
作者のルイス・キャロルが自身をモデルにしたと言われています。
赤の王
チェスの駒でいう黒のキングを基にしたキャラクター。
作中では、いびきをかいて眠っています。
白の王
チェスの駒でいう白のキングを基にしたキャラクター。
アリスと一緒にライオンとユニコーンの決闘を見物します。ひっきりなしにメモを取るマメな人物です。
トゥイードルダムとトゥイードルディー
マザーグースのずんぐりむっくりとした双子のキャラクター。
アリスの質問になかなか答えなかったり、長い歌を歌いだしたり、マイペースな印象の彼ら。
アリスに赤の王の夢について、「アリスは赤の王の夢の中だけの存在だから、彼が目覚めるとアリスは消えてしまう」と話します。
ハンプティ・ダンプティ
マザーグースの卵を擬人化したキャラクター。
「ジャバウォックの詩」の意味をアリスに話してくれますが、終始不機嫌なため、アリスはあまり彼を快く思いません。
大きな音を立てて塀から落ちてしまうため、彼を助けるために白の王が大軍を引き連れて登場します。
ハッタとヘイヤ
白の王の使者。
「不思議に国のアリス」に登場する三月ウサギがヘイヤで、帽子屋がハッタなのですが、アリスはそのことに気づきません。
ライオンとユニコーン
白の王の王冠をめぐって争う獣。
17世紀のイングランドとスコットランドの統合に起源を持つ童話と考えられています。
花たち
人間の言葉を話す花々。
オニユリ、バラ、ヒナギク、スミレ等。毒舌な彼女たちは、アリスや女王を花の一種と勘違いして、女王のことをとげのある品種と言ったり、アリスのことをしおれ始めていると言ったりします。
汽車の乗客たち
アリスが相席することになる汽車の乗客たち。
紙の服を着た紳士、山羊、カブトムシ、小さい声でダジャレばかり言う巨大な蚊がいます。
仔鹿
中に入ると自分の名前すら忘れてしまうという「名無しの森」で、アリスが出会う可愛らしい仔鹿。
仲良く森を抜けるが、アリスが人間だと思い出すと逃げてしまいます。アリスと同じ白の歩とされています。
鏡の国のアリス気になる台詞や名言
続いて、鏡の国のアリスの作中で登場するキャラクターたちの台詞から名言や格言となる言葉をいくつか紹介していきます。
鏡の国のアリス トゥイードルダムとトゥイードルディーの名言
「もしそうだったら、そうかもしれぬ。仮にそうだったとしたら、そうなるだろう。ところがそうではないのだから、そうじゃない。」
アリスは、入り込むと自分の名前すら忘れてしまうという「名無しの森」で、そこに住むトゥイードルダムとトゥイードルディーという小男の双子に出会います。
彼らは見分けがつかない程そっくりな上、アリスに見つけられた時、ピクリとも動きませんでした。
そのため、アリスは驚いて「なんて奇妙で小さな人形なの。」と言います。
すると、彼らは「もし俺たちをロウ人形の陳列だと思うなら、お金を払うべきだ。ロウ人形じゃなくて、もし俺たちが生きていると思うなら、俺たちに話しかけるべきだ。」と返します。
そして、「相手が生き物でも人形でも、まずは礼儀をわきまえるべきだ。それが道理だ。」とアリスを叱りつけました。
アリスはどうすればよかったのでしょう。人形だと思ったのなら、言葉を発さずに見物料を支払うべきでした。反対に、生き物だと思ったのなら、敬意をもって話しかけるべきでした。
それが道理だとトゥイードルダムとトゥイードルディーは、アリスに体を張って説明してくれたのです。
ただ、その後、彼らは壊れたおもちゃを巡って喧嘩を始めるので、少し説得力に欠けるような気もしますね。
鏡の国のアリス ハンプティ・ダンプティの名言
「7歳と6ヶ月か!どうも中途半端な年齢だ。わしのところに相談にきておれば『7歳でやめとけ』と忠告したところだ。」
アリスが自分の年齢を「7歳とちょうど半分」と、ハンプティ・ダンプティに伝えたところ、彼から返された言葉です。
これに対して、アリスは負けじと反論します。「ご忠告いただかなくても、大きくなります。人はひとりでに大きくなるものです。」
すると、さらに彼は答えます。
「ひとりではそうかもしれないが、ふたりでならちがう。」
ハンプティ・ダンプティは、いったい何が言いたいのでしょう。
意味が分からなくて、アリスと同じようにイライラしてしまいそうですね。
しかし、彼が言いたいのは、「当たり前のことをそのまま信じるな」ということです。
「人間が年を取って成長するのは自然なことで、誰にも止められないけれど、その当たり前を信じて疑わないのは、愚かなこと」
と、アリスに教えています。
そしてアリスの言葉「ひとりでに(勝手に)」を、彼がダジャレで「ひとりで(一人で)」と捉えて「ふたりでなら」と会話を続けているところは、センスのいい言葉遊びなのです。
ここで一つ余談。実は「不思議の国のアリス」では、アリスの年齢については語られつことはありませんでした。
そのため、このハンプティ・ダンプティとのやり取りで、ようやくアリスの年齢が分かります。
アリスファンにとっては嬉しいシーンでもありますね。
鏡の国のアリス 赤の女王の名言
「犬から骨をひくと、残りは何?」
チェスの駒になって進んでいたアリスは、目的のマスに到達してチェスゲームに勝利したため、王冠を獲得しました。鏡の国の新たな女王になったのです。
そこへ赤の女王と白の女王がやってきて、アリスに女王の素質があるかどうか見極めるために、でたらめな質問を投げかけていきます。そのうちの一つ、赤の女王が出した問題がこちらです。
皆さんこの答え、そして問題の意味がお分かりになりますか。
難しい質問ですよね。それでは、このように考えましょう。
女王は「犬から骨をひくと(奪うと)、犬は激怒し、その場には犬の怒りが残る」として、「答えは怒り」と結論付けます。
しかしアリスは「犬もその場を立ち去ったのなら、その怒りもどこかへ行ってしまうだろうから、結局何も残らない」と「答えはゼロ」と返します。
アリスは、女王のおかしな理論をきちんと理解し、さらに論理的に会話を進めていきます。
女王になる素質を十分に持っているように感じられます。
このように日常ではあり得ない場面を空想し、答えの出ない議論が繰り広げられるのが、「鏡の国のアリス」の見どころの一つです。
この物語もアリスが猫たちと空想ごっこをしていたシーンから始まり、アリスのお話は全て空想の世界での出来事です。
一見すると、生産性のない無駄な時間のようにも思えますが、ユーモアあふれる思想を養うことで、日常生活がより豊かになるというメッセージが読み取れます。
普及の名作「鏡の国のアリス」の中から、強烈なキャラクターたちの名言を3つ紹介いたしました。
いかがでしたか。セリフ1つ1つを深読みすればするほど、別の意味や違った物事の捉え方ができそうです。
子ども時代から大人になっても、何度も繰り返し楽しめる作品ですね。
不思議の国のアリスの名言は、こちらの記事でまとめています
ルイス・キャロルの名言や格言
鏡の国のアリスの作者、ルイス・キャロルの名言や格言をまとめましたので、作者の考え方が分かりますので、参考にご覧下さい。
どんなことにも教訓はある。君がそれを見つけられるかどうかさ。
私たちの日常にはたくさんの教訓がありふれていて、どこにでも成長するチャンスが転がっています。
ただ、自分から学ぼうとする姿勢がなければ、なかなか気づくことはできないかもしれません。
貴重な経験をしていても、自分の糧にできなければ勿体ないですね。
また些細なことからも教わることはあります。常に探求心を持って勉強していきましょう。
君が僕の存在を認めてくれるなら、僕も君の存在を認めるとしよう。
何だか、上から目線な言葉に感じますね。相手が認めてくれなければ、自分から認めることはないのでしょうか。
いえ、そういうことではありません。
敬意を払ってくれる相手には、自分も同じように敬意を払いましょう。
そして、自分から相手を認めれば、相手もきっと自分を認めてくれます。
もしもあなたがどこに行くか迷っていても、道が導いてくれる。
ゴールが定まっていなくても、出口が見つかっていなくても、進めばわかります。
ただ、第一歩を踏み出さなければ、何も始まりません。前に向かっているうちに、誰かが教えてくれたり、自分で気づいたりして、行きつく先が見えてきます。
最初は怖いかもしれませんが、勇気を持って挑みましょう。
他人のための行いにこそ価値があり、それが人生の重要な秘訣のひとつだ。
自分のためになることよりも、誰かのためになることの方が頑張ることってできますよね。
自分にとって大切な人や、名前も知らないどこかの誰かのためだと思うと原動力も湧いてきます。
どうしても、人は一人では生きていけません。全員が他人のために働いていれば、全員が自分のために働いてくれています。
そうやって世界は回っています。世のため他人のために活動しましょう。
人間は不可能なことは信じられないものよ。あなたはまだ信じる練習が足りないんじゃないかしら。
不可能なことは信じられず、可能なことは信じられるということ。
そして、信じる練習を積めば、たくさんのことが可能になるということ。
何かを習得するためには、当然ながら鍛錬が必要です。
ちょっとうまく行かないことがあっても、諦めてはいけません。可能性を信じて自分を磨いていきましょう。
あなたがやり始めたことは、終わりまでやり続けることだ。そして結果を待てばいい。
ここで言われる終わりがいつやって来るのか分からなくて、途方に暮れてしまうことってありますよね。
それでも一度始めたことは、何の結果も出さずに終わらせてはいけません。
辛抱して、続けていくことで、見えてくるものがあります。
何より、結果が出るまでは、良いも悪いも判断できませんから、途中で諦めてしまうと、何もしていないことと同じになります。
辛くても、退屈でも、嫌になってしまっても、自分で始めたことは、結果が出るまで続けましょう。
もしも私がそんなに賢かったら、一日中頭痛がすることでしょう。ええ、きっと!
頭でっかちにならずに、人生を謳歌しようというメッセージですね。個人的に大好きな考え方です。
賢い人は頭脳を常にフル回転させて使っているでしょうから、さぞ疲れていることでしょう。
時には考えることをやめて、本能のままに気が向くままに歩むのもいいかもしれません。
そもそも、ルイス・キャロルは、数学者であり、長年優秀な成績を収めてきました。
きっと大きなストレスも感じていたことでしょう。アリスの物語を作り出すことで、自分を解放し、心のバランスを保つことができたのだと思います。
僕は年寄りになっても相変わらず独身なのです。これからもそのままのはずです。女っ気がなくても惨めというものではありません。
ルイスキャロルが友人へ宛てた手紙の一節です。
その友人は結婚して幸せに暮らしていましたが、キャロルは結婚することも、大人の女性と恋愛をすることも生涯なかったと言われています。
それでも彼は自分の人生に満足していました。
純粋の象徴である少女を被写体にして、絵や写真に夢中になりました。また彼女たちをモチーフに小説を書くことで心が満たされていたのです。
人の人生はそれぞれで、何を幸せと感じるかは本人次第です。
周りがとやかく言うことではありませんね。キャロルが生きた時代はどうだったのでしょうか。
少なくとも今は、結婚や子どもを持つことの素晴らしさを力説することはあっても、それを他人に強制することはあり得ません。
彼は私の夢の一部分であると同時に、私も彼の夢の一部分だった。
私の夢に出てきた彼、その彼の夢の中に私がいました。
自分の存在は、彼の夢の中のものなら、実体がないのでしょうか。そうだとすると、今ここにいる自分の正体はいったい何なのでしょうか。
また、どちらが先に夢を見て、どちらの夢に先に登場したのでしょうか。
これは迷宮入りしてしまいそうです。「鶏が先か、卵が先か」の因果性の問題と同じです。
進化論にも発展します。考えても答えに辿り着かない永遠の哲学です。
ルイス・キャロルが残した名言は、現代の私たちが生きていく中でも、ヒントになるものばかりです。何かに行き詰った時、彼の言葉を思い出してみてください。きっと、前に進む手掛かりになります。